2014年3月29日土曜日

新日本風土記「さくら十二の物語」に物思う

京都のお屋敷の桜祭り、

一休さんから、乾山に到るエエとこが出てきていたが、

緞通は、鍋島じゃなくて、赤穂だったな?

吉島さんとこで、プレーナー掛けたのかな?

もう赤穂に織元は無くなったからなぁ、、

個人やっているだけだから、、、

本当は職人さんが鋏で綺麗に詰めてくれるけれど、、

まぁ、鍋島緞通が残ったのは、僥倖に過ぎなかったから、、

赤穂緞通や、堺緞通が、昔の姿を失ったのは時代の必然だったな、、


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